1989年6月4日に起きた六四天安門事件の記憶を風化させないための、六四記念館は香港にあります。5月30日にリニューアルオープンしたばかりの六四記念館が、たった3日後の6月2日に当局により一時閉鎖されました。
台湾メディアの中央通訊社の記事より。
1989年6月4日に中国北京の天安門広場で起きた大虐殺事件は、広場に集まった民主化を求める学生たちに向かって、人民解放軍が発砲し戦車で突入するという悲惨な虐殺事件でした。
当時は多くの海外メディアが世界中に報じ、日本でも報道番組が実況中継しました。
中国共産党はこのような中国の黒歴史を無かったことにしようと必死で、百度検索で「六四天安門事件」で検索しても一件もヒットしませんし、「天安門事件」で検索しても1976年4月5日に起きた事件がひっかかるだけです。
微博やWeChatで「六四天安門事件」に関係した投稿をすると、あっと言う間に削除されてしまいますし、何度も投稿するとアカウントが凍結されてしまいます。
「六四天安門事件」の記憶を風化させないために、六四記念館が香港に設立され、2018年12月からは香港市民支援愛国民主運動連合会(支聯會)がモンコック(旺角)で運営しています。
例年6月4日前後には、支聯會が主催する「六四天安門事件」の犠牲者を追悼する行列や集会が行われ、その際には記念館も開放されます。
今年の追悼集会に合わせて、六四記念館は5月30日にリニューアルオープンしましたが、3日間開いただけで当局から閉鎖を命じられてしまいました。
支聯會によりますと、6月1日に香港食品環境衛生署の担当者が記念館を訪れて、支聯會が六四記念館の公共娯楽会場ライセンスを申請しておらず、関連法規に違反しているとの指摘を受けたといいます。
審議の結果、六四記念館の運営委員会は、今回の事件について法的な助言を求める必要があると考え、スタッフや来館者の安全を守るため、追って通知があるまで六四記念館を一時閉鎖することを決定しました。
今年に関しては、警察が先に「新型コロナ感染拡大防止」のために、支聯會が主催する行列と集会を禁止したのに続き、香港食品環境衛生署は、「六四記念館が関連条例に違反している疑いがある」と調査を始めました。
昨年7月からの香港国家安全法施行によって、中国共産党に完全制圧された香港政府は、中国本土と同様に「六四天安門事件」の情報を削除・隠匿し、大虐殺事件を無かったことにしてしまうつもりなのでしょう。
「六四天安門事件」と言えば必ず出てくる『タンクマン』ですが、今は『タンクマン 天安門』でGoogle検索すれば閲覧可能です。(百度検索では1件もヒットしません)
ところでこの時のタンクマンですが、その後どうなったのでしょう?「そのまま戦車に轢き殺された」というヤバい噂や、「戦車に登って行って、中にいる将校に怒鳴ったら、戦車が引き返して行った」と言った噂も流れていました。
正しくは、「横から出てきた数人の男性に促されて、その場を離れた」というもので、写真にも動画にも残っています。
現場を離れた後についての情報は何もなく、数年前に中国外交部の定例記者会見で、外国人記者に質問を受けた耿爽報道官(当時)は、「タンクマンについては把握していない。言えることは、あの政治騒動について中国政府はすでに明確な結論を出したということだけだ」と回答しています。
世界中に衝撃が走った六四天安門での大虐殺事件ですが、実際の被害者も正確な集計はなく、中国共産党公式発表の死者319名から、イギリス政府公文書の「最低に見積もっても一般市民の死者は10000人以上」など様々あります。
中国共産党による報道規制により、客観的な確定は不可能ですが、池上彰氏のいう「天安門事件の死者はゼロ」は大嘘です。
あれから32回目の6月4日ですが、日本のマスコミはどの様に報じるのでしょうか。来年、再来年、さらにその後と6月4日に六四天安門大虐殺事件を報じなくなったら、中国共産党が日本のマスコミを完全制圧した時だと思って良いでしょう。
ところで六四記念館ですが、このまま香港に置いておくと、中国政府からの弾圧が続く恐れがあるために、海外居住の民主活動家の王丹氏らは、35周年に当たる2024年の開設を目指し、アメリカで六四記念館の設立準備をしているとのことです。
王丹氏は1989年の中国民主化運動のリーダーの一人で、1989.6.4には現場天安門にもいました。それだけに中国共産党に歴史を抹殺されてしまうことに我慢ができないのでしょう。
参考記事
<中央通訊社>香港六四纪念馆 当局调查后暂闭馆
http*://bit.ly/3uFiDvy
<中央通訊社>香港六四紀念館恐不保 王丹:建議改設美國
http*://bit.ly/34OOP4V
<多維新聞>六四事件32年:中国海外民运的尴尬时刻
http*://bit.ly/3yYqF64