アメリカの牧師ブランドン・ビッグスは、ドナルド・トランプの暗殺未遂事件を正確に予言したことで有名になりました。特に2024年6月には、大地震によって引き起こされた大津波が日本の東京を浸水させると語っています。偶然ではないが、イギリスの予言者クレイグ・パーカーも同時期に世界予言をしている最中に、日本の沖合で巨大な黒いキノコ雲を”見た”と語っています。彼は、露・ウクライナ戦争と新型コロナウイルスを予言した際にも、対応する地域で黒い雲を見たと言っています。パーカーの目には、黒い雲は何か大きな不穏なことが起こることを予言していたのです。では、日本の大変動は起きるのか? そしてそれはいつ起こるのか? これは誰にとっても大きな関心事でしょう。今日は、日本の漫画家、たつき諒が予言した2025年の日本の大災害について話しましょう。
米国に拠点を置く中国語放送の希望之声の記事より。
たつき諒は日本で有名な女性漫画家です。1994年から1998年まで連載し、1999年に単行本として『私の見た未来』を発表しました。このマンガの中で、たつき諒は自分が見た15の予知夢を記録しています。今のところ、そのうちの10個ほどが成就しているのです。では、彼女はどうやって予知能力を手に入れたのでしょうか?
たつき諒が9歳のとき、彼女はひどい風邪をひいていたと言われています。その日、彼女はベッドに横たわり、おしゃべりにふけっていました。そのとき、彼女の脳裏に突然不思議な考えが浮かんだのです。
香港映画『達磨大師(Master of ZEN)』に出てくる質問に似ていないだろうか:「生まれる前の私は誰だったのか? 生まれる前の私は誰だったのか?」 これらの脳を焼くような質問は、むしろ魂の奥底からの天の質問のように見えます。
頭に浮かんだ質問に答えられなかったたつき諒に話を戻しましょう。その瞬間、彼女は突然、宇宙の配慮から来る力を感じました。突然、彼女の目の前に白ひげの老人が現れ、優しい微笑みを浮かべて、とても親切そうに彼女を見ていました。たつき諒は目をこすり、見間違いだと思い、目を凝らすと、それは本当に白ひげの老人でした。テレパシーを通して、彼女はこの親切な老人が創造主であることを知りました。
その老人を見た瞬間、彼女の胸には「実家に帰りたい」という強い思いがこみ上げてきました。その強い思いに、彼女は涙を流しました。しかし、彼女は戸惑ったのです。両親はすぐそばにいるのに、私はどちらの両親のもとに帰ればいいのだろう? しかし、「帰りたい」という思いはひときわ強かったのです。
この事件の後、たつき諒は奇妙な夢を見るようになりました。そして特別なのは、その夢のいくつかはしばらくすると現実になるということでした。後に彼女は、これが人の予知夢であることを知ったのです。
予知夢
そこで1976年から、たつき諒は自分の夢を記録することにしました。日を追うごとに、彼女は予知夢の絵を何枚も何枚も書き溜めました。これが彼女の夢漫画であり、『夢日記』と名付けられました。
1976年11月24日、たつき諒はイギリスのロックバンド、クイーンのリードボーカル、フレディ・マーキュリーが奇妙な伝染病で死ぬ夢を見ました。1986年、彼女は再び同じ夢を見ました。1987年、マーキュリーはエイズと診断され、1991年11月24日にエイズの合併症である気管支肺炎で亡くなりました。
1992年8月31日、彼女はダイアナという名の女性が赤ん坊を抱えてイギリスの城に住んでいる夢を見ました。夢の中で彼女はダイアナの死を見ました。それから5年後、世界中の大小さまざまなメディアはこぞってひとつのことを報じました。1997年8月31日、ダイアナ妃が交通事故で亡くなったのでした。
1998年、たつき諒はインドに渡り、サイ・ババという奇妙な男を訪ねました。サイ・ババは師を崇拝したこともなく、精神修行の経験もありませんでしたが、師なしで古典を理解することができたため、世界170カ国以上から信者が集まりました。
応接室に座っていたたつき諒は、ふと過去の人生を思い出しました。19世紀、サイ・ババはイギリスのジャーナリストで、たつき諒はその娘でした。今回彼女は、おそらく過去の運命を果たすために、はるばるインドまで飛んできたのです。
インドへの旅の後、たつき諒は、予知夢がまるで刷新され、より広い分野に昇格したかのようにグレードアップしていることに気づきました。
インドから帰国した翌年の1999年、漫画集『私の見た未来』を出版する前、彼女は大災害と大津波を伴う夢を見ました。夢の中で彼女は、2011年3月という時間をはっきりと見たのです。
夢は明確で真実だったので、彼女は2011年3月の大災害が現実に起こるに違いないと確信しました。彼女は表紙に「大災害は2011年3月」という一文を付け加えることしかできませんでした。しかし、1999年から2011年まで10年以上のタイムスパンがあり、慌ただしく物事を見ることに慣れている現代人に将来の大災害を心配させるのは、間違いなく夢物語でした。
だからこそ、2011年の311大災害の後、日本人はたつき諒の存在と彼女の予言を思い出すことすらなかったのです。では、なぜたつき諒は有名になったのでしょうか?
明るい未来
たつき諒は別の予知夢で、大災害の後、人々は互いに愛し合い、助け合い、心に属する新しい時代がやってくると見ました。全地球上の人類は、活力に満ちた新しい世界を切り開くだろう、それは明るい未来だったのです。
たつき諒は「心の時代」だと感じたといいます。明るい日差しの下で、誰もが勤勉に働き、家族と過ごす時間を増やし、より仲良く調和していました。人々は穏やかで平和な生活を送っていました。「心の時代」が到来すると、たつき諒は予知夢で未来を知ることはなくなりました。
たつき諒が語った「心の時代」は、ビッグスが予言した「大復古の時代」の到来と重なります。ビッグスは、人々が伝統的な家庭生活を取り戻し、家族の核となる価値観に立ち戻ると見ていたからです。そしてたつき諒とビッグスの予言は、現在驚くほど一致しているようです。
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たつき諒氏は、自身の漫画作品『私が見た未来』で2025年7月5日に日本で大災害が発生すると予言しています。具体的には、たつき氏は2025年7月5日4時18分もしくは16時18分に、日本とフィリピンの中間地点で海底が隆起し、巨大な津波が発生すると予知夢で見たと述べています。
この津波は、東日本大震災の3倍以上の規模になる可能性があるとされています。ただし、この予言はあくまで夢に基づくものであり、科学的な根拠は示されていません。また、ネット上ではこの予言が広く議論されており、予言の真偽を問う声も多く見受けられます。
たつき諒氏自身は、夢日記を元にした予知夢を描いており、これらの予言は『私が見た未来 完全版』という書籍で詳述されています。情報源としては、たつき諒氏の著作『私が見た未来 完全版』や、関連するメディア報道、そしてインターネット上の議論が挙げられます。特に、2021年に発売された『私が見た未来 完全版』では、新たな予知夢の詳細が解説されており、2025年の大災害について具体的に触れられています。
YouTubeでもこの予言についての解説がいくつかあります。
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参考記事
<希望之声>神准预言日本311大地震 传奇的漫画作者再爆惊人预言 比格斯看到全球大复兴