フランスの原子力空母がフィリピンと軍事演習を行い、中国とフィリピンの摩擦がエスカレート
フランスの原子力空母シャルル・ド・ゴールとそれに随行する軍艦が21日、マニラの北西にある旧米海軍基地のスービック湾に停泊し、フィリピンの陸軍、海軍艦船、戦闘機と協力して、南シナ海で対潜水艦戦演習と空戦訓練を行ったことを、AP通信が2月23日、フィリピンとフランスの当局者の話を引用して確認しました。
米国議会の出資によって設立された短波ラジオ放送局の自由亜州電台の記事より。

フランスの空母とフィリピン軍の合同演習は、南シナ海の係争海域をめぐる中国とフィリピンの摩擦が激化しているときに行われました。
南シナ海のほぼ全域の領有権を主張する中国の動きは、長い間国際社会から拒絶されてきたと報じられてきました。
ハーグの常設仲裁裁判所は2016年、南シナ海に対する北京の広範な主張には根拠がないとの裁定を下しましたが、中国は裁定を受け入れるどころか、南シナ海の人工島にミサイルを配備し、軍用戦闘機の滑走路を建設するなどして、この地域の緊張を引き起こしています。
マリー・フォンテネル駐フィリピン・フランス大使は、23日に空母シャルル・ド・ゴールの飛行甲板で記者会見し、「フランスは地域のパートナーとの協力を深めることを目指しており、国際法を守り、国際水域での航行の自由を確保することを含め、パートナー諸国と共通の価値観を共有している。」と述べました。
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中国が南シナ海全域を領有宣言するに至った経緯
中国が南シナ海全域を領有宣言するに至った経緯は、歴史的背景、法的主張、そして地政学的戦略が複雑に絡み合った結果である。以下にその過程を具体的に解説します。
歴史的背景と初期の主張
中国の南シナ海に対する関心は、近代以前から存在していたが、明確な領有主張として国際社会に提示されたのは20世紀に入ってからです。
1930年代半ば、中華民国政府(当時の中国政府)は外交部、内務部、海軍部が共同で設立した「水陸地図審査委員会」を通じて、南シナ海の東沙諸島、西沙諸島(パラセル諸島)、中沙諸島(スカボロー礁を含む)、南沙諸島(スプラトリー諸島)を包含する地図「中国南海各島嶼図」を刊行した。この地図は、中国が南シナ海の島嶼に対する歴史的権利を初めて公式に示したものとされます。
第二次世界大戦後、1947年に中華民国政府は「南海諸島位置図」を発表し、現在の「九段線」(後に中国政府が引き継ぐ)の原型となる11本の破線で南シナ海の大部分を囲んだ。この線は、南シナ海の約90%を中国の管轄下に置くものであり、歴史的根拠として「中国が古来よりこれらの島嶼を管理してきた」と主張した。しかし、この主張は具体的な文献や統治実績に基づくよりも、曖昧な歴史的解釈に依存していた。
1949年に中華人民共和国が成立すると、新政府はこの主張を引き継ぎ、1958年に「中華人民共和国領海宣言」を通じて、南シナ海全域に対する主権を国際社会に公式に宣言した。この宣言では、領海幅を12海里とし、南シナ海の島嶼とその周辺海域が中国領であると明記された。この時点で、中国は「九段線」を法的根拠として提示し始めたが、その具体的な境界や法的な定義は曖昧なままでした。
資源と戦略的要因の台頭
南シナ海に対する中国の関心が本格化した背景には、1960年代後半に明らかになった豊富な資源と地政学的要因がある。1968年、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の調査により、南シナ海に石油と天然ガス資源が埋蔵されている可能性が示唆されました。
これにより、中国を含む周辺国は経済的利益を求めて領有権争いを加速させた。また、南シナ海は中東からの原油輸送やアジア太平洋地域の貿易を支えるシーレーンとして戦略的重要性が高く、中国にとって海洋覇権の確立が国家的優先事項となった。
1980年代に入ると、中国は南シナ海での実効支配を強化する動きを見せました。1983年には南沙諸島に調査団を派遣し、1987年以降は軍艦を用いた演習を開始。1988年の「南沙海戦」(赤瓜礁海戦)では、ベトナムとの武力衝突を経て赤瓜礁を奪取し、実力行使による領土拡大の姿勢を明確にした。この時期、中国政府は「歴史的権利」と「実効支配」を組み合わせた主張を展開し、国際法よりも自国の解釈を優先する立場を取った。
九段線の公式化と国際的対立
中国が南シナ海全域を領有宣言する核心として、現在も議論の中心にあるのが「九段線」である。2009年、中国は国連大陸棚限界委員会に提出した文書で、九段線を初めて公式に国際社会に提示しました。
この文書では、南シナ海の島嶼とその周辺海域に対する「紛れもない主権」を主張しましたが、九段線の具体的な座標や法的根拠は示されなかった。この曖昧さが、フィリピンやベトナムなど周辺国との対立を深める要因となりました。
2016年、フィリピンが提訴した南シナ海仲裁裁判で、ハーグの常設仲裁裁判所は中国の九段線に基づく主張に法的根拠がないとの裁定を下しました。裁定は、中国の主張が国連海洋法条約(UNCLOS)に違反すると結論づけましたが、中国はこれを拒否し、「歴史的権利」を理由に領有宣言を維持している。
この事件は、中国が国際法よりも自国の戦略的利益を優先する姿勢を国際社会に印象づけました。
近年フィリピンと中国が南シナ海で衝突した歴史
近年、南シナ海におけるフィリピンと中国の衝突は、領有権争いと実効支配の強化を巡る緊張の結果として頻発している。以下に、主要な事件を時系列で具体的に説明します。
2012年:スカボロー礁の占拠
フィリピンと中国の衝突が顕著になった最初の事例として、2012年のスカボロー礁(中国名:黄岩島)事件が挙げられる。4月、フィリピン海軍が同礁付近で中国漁船の違法操業を取り締まろうとしたところ、中国海警局の船が介入し、双方がにらみ合う事態に発展した。その後、中国は実効支配を確立し、フィリピン漁民の立ち入りを阻止。フィリピン政府は強く抗議したが、実質的な奪還はできなかった。この事件は、中国が南シナ海で武力に頼らずとも実効支配を拡大する「グレーゾーン戦術」の始まりを示しました。
2016年:仲裁裁判後の対立激化
前述の2016年仲裁裁判裁定後、中国は裁定を無視し、人工島の建設や軍事拠点の強化を加速させた。フィリピンは当初、ドゥテルテ政権下で中国との融和政策を模索したが、中国のミスチーフ礁(美済礁)やアユンギン礁(セカンド・トーマス礁)での活動が続き、緊張は解消しなかった。特に、アユンギン礁では1999年に座礁させた軍艦「シエラマドレ」を拠点としてフィリピンが駐留しており、中国が補給活動を繰り返し妨害するようになりました。
2023年:放水砲と衝突のエスカレーション
2023年以降、フィリピンと中国の衝突は物理的な接触を伴う形で激化した。2月6日、中国海警局がアユンギン礁への補給船にレーザー光線を照射し、フィリピン乗組員の視界を妨害。同年12月9日には、スカボロー礁付近で中国船がフィリピン当局船に放水砲を発射し、進路を妨害した。さらに10月22日、アユンギン礁への補給任務中に中国海警局船がフィリピン軍輸送船に衝突し、フィリピン側が「危険で無責任」と非難する事件が発生した。
2024年:衝突の頻発と国際的関与
2024年に入り、衝突はさらに頻発した。3月5日、アユンギン礁への補給船が中国海警局船から放水を受け、乗組員4人が負傷。フィリピン政府はこれを「初の負傷事例」と報告し、中国を強く非難しました。
6月17日には、セカンド・トーマス礁付近で中国船がフィリピン補給船に衝突し、水兵1人が指を切断する重傷を負った。8月19日と25日には、サビナ礁付近で双方の船が衝突し、フィリピン船に構造的損傷が生じた。これに対し、米国や日本がフィリピンを支持する声明を出し、国際的な緊張が高まった。
現在の状況と展望
2024年7月、フィリピンと中国は補給活動に関する暫定合意に達しましたが、その後も衝突が続いており、合意の実効性は疑問視されている。フィリピンは米国や日本との軍事協力を強化し、中国の「グレーゾーン戦術」に対抗する姿勢を鮮明にしている。一方、中国は「南シナ海は中国の領土」との立場を崩さず、実効支配の拡大を進めている。
結論
中国の南シナ海全域に対する領有宣言は、歴史的解釈と現代の戦略的ニーズに基づくものであり、九段線を通じて国際法に挑戦する形で展開されてきた。一方、フィリピンとの衝突は、中国の実効支配拡大とフィリピンの抵抗が交錯する中でエスカレートしており、今後も国際社会の注目が続くでしょう。両国の対立は、地域の安定性と法の支配に基づく海洋秩序に深刻な影響を及ぼす可能性があるため、ビジネスリーダーとしては、この動向がサプライチェーンやエネルギー供給に与えるリスクを注視する必要があります。
参考記事
<自由亜州電台>中菲摩擦升级 法国核动力航母与菲律宾举行军演
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