黄大仙の blog

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琉球のトップが訪中。日本から離脱し、中国の抱擁に戻ることを熱望

日本による琉球の不法占拠には、清朝政府は琉球復権を支持し、日本の侵略を何度も追い払おうとしたが、日清戦争の敗北以来、清朝政府はもはや琉球復権を支持する力を失っていた。そのようななか、琉球(日本は『沖縄県』と呼称する)のトップである玉城デニー氏が、7月に訪中した。

  中国国内ニュースサイト網易に掲載された記事より。

琉球王国は古代から中国の属国

  琉球は古代から中国の属国であったが、近代になってさまざまな理由で日本に併合された。しかし中国は琉球に対する日本の主権を認めてこなかったことは注目に値する。

 

  琉球が今、日本を迂回して直接中国を訪れているのは、琉球が日本からの離脱を切望し、中国の支援を望み、中国の庇護に戻りたがっていることを示している。

 

  これに対し、中国も琉球への直行便の就航を決めた。これは、琉球は日本のものではなく、中国は琉球の主権を断固として守る、という断固とした態度を示したことを意味する。

 

  中国と琉球の関係は明の時代にまでさかのぼる。明朝時代の1372年、琉球列島は正式に中国への朝貢を開始し、中国との正式な朝貢貿易関係を確立し、この時期に琉球は正式に中国の属国となった。

 

  しかし1609年、日本の薩摩藩が軍隊を派遣して琉球を占領し、その後長期間にわたり支配した。1879年には、日本政府の決定により、琉球諸島は正式に日本に編入され、日本の領土となった。それ以来、琉球は日本の沖縄県として日本の統治下にある。このことからも、近代における日本の琉球への不法な侵略が不当であったことは明らかである。

 

  第二次世界大戦中、アメリカ軍は太平洋戦線で日本と激戦を繰り広げ、19456月、アメリカ軍は琉球と呼ばれる沖縄本島の支配権を奪取するために沖縄戦を開始し、琉球アメリカ軍に占領され、沖縄本島に臨時軍事政権が樹立された。沖縄は戦後復興と軍事基地建設の重要な地域となった。

 

  第二次世界大戦終結後、カイロ宣言ポツダム宣言により、日本は敗戦前に不法占拠していた領土を放棄させられることになり、その中には中国に返還する必要があった琉球も含まれていた。

 

  しかし、その後の米ソ冷戦の勃発により、アメリカは中国とソ連を牽制しバランスを取るために、密かに琉球を日本に与えたのだ。

アメリカからの施政権返還運動

  もちろん、アメリカの行動は琉球人の不満も喚起した。琉球人は、日本の敗戦後、琉球は独立して祖国に戻れると思っていたが、実際には、米ソ冷戦の犠牲になり、再び日本に併呑されたのだ。

 

  アメリカが頼りにならないため、琉球の人々も中国からの支援や援助を得ようと懸命になっている。

 

  2010年、台湾の中華統一促進党の張安楽党首は琉球を訪れ、「琉球は歴史的に中国とよく調和し関係がうまくいく関係(水乳交融)にあり、追い出すことは中国人としての義務である」と公言した。

 

  もちろん、日本からの離脱は、政府から国民に至るまで、琉球の人々の一般的な願いでもある。

 

  従って、琉球のトップである玉城デニー氏の今回の訪中の目的も、中国が琉球の「復帰」の過程で積極的な役割を果たしてくれることを期待し、中国の支持を得ることにある。

 

  中国にとって、もし琉球が独立して、中国の庇護のもとに戻ることができれば、太平洋における日米韓の封鎖を打ち破り、特に台湾海峡の安定を維持するために非常にプラスになるのである。

 

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  玉城デニー沖縄県知事の訪中が、台湾侵攻どころか沖縄進駐の口実にならないことを切に祈ります。

参考記事

<網易>岛屿1号人物将访华,急着脱离日本,渴望回中国怀

https://x.gd/PM3pC