党派を超えた米議会代表団が19日、インドのダラムサラでチベットの精神的指導者ダライ・ラマと会談しました。
米国議会の出資によって設立された短波ラジオ放送局の自由亜州電台の記事より。
ロイター通信の報道によると、ナンシー・ペロシ前米下院議長は19日、「ダライ・ラマと会談できたことは光栄であり、祝福である」と歓迎の意を表し、米議会で採決された『チベット・中国紛争解決促進法』がバイデン大統領によって近く署名されて成立する見通しであることを伝えました。
ペロシ氏は、亡命チベット人にとっての民主主義の重要性と、中国政府の準備の必要性を強調しました。
一方、米下院外交委員会のマイケル・マッコール委員長は、ダライ・ラマとの会談後、「中国政府がダライ・ラマの後継者選びに介入しようとしているが、そんなことはさせない」と述べました。
民主党のナンシー・ペロシ下院議員、共和党のマイケル・マッコール下院議員を含む7人の上級議員からなる党派を超えた代表団が18日からインドを訪問しています。
在インド中国大使館はかつて、ダライ・ラマを「純粋な宗教家ではなく、宗教を装って反中国分離主義活動に従事する政治亡命者」と非難していました。
これまでのところ、中国外交部は米議会代表団とダライ・ラマの会談に関してコメントしていません。
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「チベット・中国紛争解決促進法」は2月に下院で可決された議案が修正されて上院で5月に可決されたため、再度下院で6月12日に審議され可決しました。バイデン大統領の署名を待って成立するよていです。
米上院がチベット法案を可決 中国の主張「古来から中国」に反論 - 黄大仙の blog
中国は、「元朝以来、中国の歴代中央政府はチベットに対して途切れることなく行政管轄権を行使しており、チベットが独立国であったことがないという歴史的事実は変えることができない。」と主張していますが、その主張は米国によって否定されました。
実際に、元朝はモンゴル人の王朝であることは、日本なら中学生でも知っている知識であり、元朝の次の明朝時代はチベット(吐蕃)は独立国でした。
その次の清朝時代には、チベットは清朝(満州族)に従属していますが、中国(漢民族)、モンゴル(モンゴル人)、東トルキスタン(ウイグル人)も清朝に従属していたのであって、チベットが中国に従属していたのではありません。
清朝滅亡後の群雄割拠、国共内戦時代を経て、1949年に中国共産党が最終勝利者として中国および満州を統一しましたが、チベット、東トルキスタン、モンゴルは独立していました。
チベットが中国共産党人民解放軍に武力侵略され、併合されたのは1950年のことで、中国共産党はこの武力侵略を「チベットの平和的な解放」と自称しています。
チベット人は中国人よりも人口が圧倒的に少なく、また敬虔な仏教徒であることもあり、武装が貧弱であったため、圧倒的武力の人民解放軍の敵ではありませんでした。
中国共産党の占領後は、宗教の排撃や、漢民族の大量入植が進められ、結果生まれた軋轢によって怒ったチベット人が武装蜂起しましたが、それも数日で鎮圧され、ダライ・ラマはインドに逃れ亡命政府を樹立しました。
チベットの歴史を見ると、中国共産党の前で、貧弱な武装でいることがどれほど危険かわかると思いますし、チベット、ウイグル、モンゴルの現状を見れば、中国共産党支配下になるとどうなるか想像できるはずです。
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参考記事
<自由亜州電台>美国会代表团会晤达赖喇嘛 反对中国干涉西藏转世传统