黄大仙の blog

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中国とEUの人権対話が今月重慶で開催される。 ヨーロッパ人がチベット訪問の許可を得るのは滅多に無いこと

最近、相殺関税の調査で泥沼の様相を呈している中欧関係ですが、『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』紙の報道によると、今月EUと中国の高官による恒例の人権対話が開催されます。EU当局者の訪中にはチベットへの現地視察も含まれることは注目に値します。中国とEUの関係で論争と摩擦が高まっているときに、EUの人権担当者がチベット訪問を許可されたことは「かなり驚くべきこと」だと分析されています。

  米国に拠点を置き、中国、台湾、香港、マカオの政治、経済、社会、生活、金融などのニュースを世界中の華人向けに発信するメディアの世界新聞網の記事より。

チベット国旗(雪山獅子旗) 日本人僧侶青木文教氏作

  サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙の報道によると、EUのスポークスマンは、毎年恒例の中国とEUの人権対話が616日に重慶で開催されることを確認しました。

 

  また、この訪問に関連して、EUは中国に対してチベット自治区の人権状況を理解するために現地視察を実施するよう要請し、訪問を希望する「監獄リスト」を中国政府に提供しました。

 

  EU対外連絡部のマスラリ報道官は、「現状では、中国当局EU対外連絡部の人権を担当する数名の職員のチベットへの追加訪問を手配している」と述べました。

 

  中国とEUの人権対話に参加するEU代表団は、EU外務省アジア太平洋総局のパンパローニ副総局長が率いることになります。パンパローニ副総局長は昨年2月、ブリュッセルで開催された中国との人権対話に代表団を率いて参加しています。

 

  サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙は、EU代表団が対話の中で、チベット、新疆、香港といった論議を呼ぶ問題を含む、中国の多くの人権状況について懸念を表明するだろうと指摘しています。

 

  これまで、欧州の代表団がチベットなどの地域を訪問することは困難であったこと、また、EUが何年にもわたり、チベットにおける人権侵害について中国を非難してきたことを考えると、EUの人権対話代表団がチベットに行くことを許可されたという事実は特に注目を集めており、欧州の代表団がチベットに入ることを許可されるのは珍しいと考えられています。

 

  報道ではさらに、EUが昨年の世界人権デーに声明を発表し、「学生を寄宿学校に強制的に通わせ、DNAサンプルを採取する」など、チベットにおける中国の虐待を非難したことに触れ、「人権状況の広さをさらに示している」と報じています。

 

  EUの声明はさらに、「EUは、独立した国際的な専門家、外国人ジャーナリスト、外交官が、意味のある、制限のない、監視のない方法で、チベット新疆ウイグル自治区、その他の中国各地を訪問することを許可するよう求め続ける」と付け加えています。

 

  サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙は、5月に発表されたヒューマン・ライツ・ウォッチHRW)の報告書を引用し、中国政府が2016年以来「チベットの田舎で村人や牧畜民の移転を劇的に加速させている」と伝えました。

 

  同報道はさらに、中国当局はこうした「何百キロも離れた地域への」移転を自発的なものと解釈することが多く、こうした移転は人々の生活を改善し、生態環境を保護するためのものだと主張している、と伝えています。

 

  これに対して中国当局は、チベットでの虐待や宗教的信仰に対する制限の疑いを強く否定していますが、チベット仏教を中国の文脈や習慣に合わせるよう要求しています。

 

  さらに、EUは昨年のブリュッセルでの人権対話の後の声明で「国連人権高等弁務官新疆ウイグル自治区の人権状況に関する報告書を発表し、その勧告を早急に実施すべきだ」と強調しました。

 

  同声明はまた、EUは「香港における平和的集会・結社の自由と表現の自由の悪化」を問題視し、中国代表団はEUにおける難民・移民の状況と待遇、EU内の人種差別と排外主義に焦点を当てたと述べました。

 

  公開されている情報によると、毎年行われていた中国とEUの人権対話は、主に人権問題をめぐる一連の相互制裁もあり、新型コロナ感染症流行時に一時中断されましたが、2023年に対話が再開されました。

 

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  1950年、中国共産党人民解放軍チベットに武力侵略し、併合しました。中国国内ではこの事件を「チベットの平和的な解放」と自称しています。

 

  中国共産党によるチベット占領後も、チベット人の精神的指導者ダライ・ラマは健在でしたが、中国共産党による宗教の排撃や、漢民族の大量入植によってチベット人との軋轢が生まれ、1959年にチベット武装蜂起が勃発しました。

 

  ダライ・ラマチベット軍は、中国人民解放軍に比べて数が著しく劣り、武装も貧弱だったため、数日で鎮圧されてしまいましたが、ダライ・ラマと彼を慕うチベット人がインドへ逃れ、チベット亡命政府の樹立を宣言しました。亡命チベット人の数は15万人に及びます。

 

  現在チベットへの入国は中国政府から厳しく制限されており、 外国の外交官やジャーナリストなどの外国人は、中国政府の許可を得て、公式の管理が厳しいツアーに参加しない限り、チベットに入ることはできません。

 


 

参考記事

<世界新聞網>中欧人权对话本月重庆登场 欧方罕见获准实地考察西藏

https://x.gd/UElm5